暗殺された安倍元総理、政権交代後から統一教会と親密に?実はズブズブだったことが週刊新潮の記事で判明

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以下は有田芳生のブログから引用

統一教会=勝共連合(注1)が「有田対策」「有田退治」の方針を出した。内部文書を公開する(クリックすれば拡大)。関連組織である勝共連合の青津和代(注2)本部長が、自民党の山谷えり子参院議員を支援するよう指示、その末尾にこう書かれている。
「有田対策ですが、くれぐれも宜しくお願いします。相対的に有田退治になります 全国足並み統一行動を取ってください」。
  山谷えり子参院議員は統一教会とは密接な関係で、選挙時の応援を受けている。この文書でもっとも注目すべきは、「山谷先生、安倍先生なくして私たちのみ旨は成就できません」とのくだりだ。ここからは山谷えり子参院議員、安倍晋三元首相が統一教会の目的を理解していることが読み取れる。ちなみに「み旨」とは文鮮明教祖の思いを実現させることで、具体的には伝道、霊感商法、文教祖の入国実現(注3)などを意味している。
  もうひとつ注目すべきは「青津さんも自民党の先生方を集めた全国教育問題協議会の事務をしている関係上名前を変えています。勝共の青津は使っていません」という部分だ。統一教会=勝共連合の謀略(マヌーバー)体質がここにも現れている。
  「食口」(しっく)とは統一教会信者のこと。信者ひとりが5票を集めること、教区長が名簿作りをすることが指示されているように、比例区に出馬する山谷えり子参院議員が統一教会推薦候補であることが明らかとなった。

(注1)国際勝共連合は共産主義に勝利することを目的に1968年に結成された組織。統一教会の文鮮明教祖が笹川良一氏(初代名誉会長)らと話し合って設立された。冷戦終了後も信者が勝共連合メンバーとして政治家などに接触している。かつては100人を超える「勝共推進議員」がいた。
(注2)青津和代氏は1975年に行われた合同結婚式に参加。相手は韓国人。江利川安栄統一教会会長(第7代)の側近。現在は社団法人全国教育問題協議会で事務の仕事をしている。
(注3)文鮮明教祖はアメリカで脱税のために収監されたことがある。そのため入管法の規定(第5条4項「日本国又は日本国以外の国の法令に違反して、一年以上の懲役若しくは禁錮又はこれらに相当する刑に処せられたことのある者」)により日本入国が認められない。統一教会は国会議員に働きかけ、超法規的に教祖入国を実現させようとしてきた。

https://blog.goo.ne.jp/arita0327/e/6771d99f8d9f2d1c403d7220ab0f5031?fm=entry_awp_sleep

統一教会と北朝鮮を殲滅しようとしていた安倍元総理がなぜ?

きっかけは文鮮明の死去?それとも政権交代後に票田として活用?

1981年 – 当時東海大学大学院に在学していた先妻の息子文聖進に面会するという理由をつけ「法務省は日本に入ってからの行動を関知しない」という方法で通過査証発給が検討された。しかし文鮮明は日本で国際合同結婚式ができるよう宗教活動目的の入国を最後まで求めた[32]。当時の法務大臣奥野誠亮が事務次官や入国管理局長などに査証発給を促したが、実務側が過去の経歴を理由に合意せず、入国が許可されなかった[32]

1982年 – 入国が許可されなかった[32]

1984年 – アメリカ合衆国で懲役1年6ヶ月の実刑判決を受けたため出入国管理及び難民認定法第5条1項4号[32] の規定「日本国又は日本国以外の国の法令に違反して、一年以上の懲役若しくは禁錮又はこれらに相当する刑に処せられたことのある外国人は、本邦に上陸することができない。」に該当し上陸拒否者となった[32]

1992年3月26日 – 3月16日に日本統一教会神山威会長が自身を身元保証人とし「北東アジアの平和を考える国会議員の会」との意見交換という形式で文鮮明の日本入国を法務省に申請[32] し、「日程に記されている以外に政治、宗教活動を行わない」旨の文書を提出[32]し、当時の法務大臣田原隆[32] が「国際情勢の変化[32]」「実刑判決から時間が経っている[32]」などを理由とし、出入国管理及び難民認定法第12条の上陸特別許可(第3号:大臣決裁)を与えた。この許可については法務省に対し金丸信(当時自民党副総裁)から政治的圧力があったという[32][注釈 3][33]。3月29日に中曽根康弘元首相と会談、3月30日夜には「北東アジアの平和を考える国会議員の会」主催の歓迎晩餐会で閣僚関係者など国会議員31人を前に1時間程講演を行った。この講演の内容は「頭翼思想[注釈 4]」「神主義」など独特の宗教的内容と北朝鮮訪問の報告で、訪日の目的と説明されていた意見交換は行なわれなかった。3月31日金丸信[34] と2時間半に渡り会談[32]、うち1時間は2人だけの密室会見[32] だった。4月1日午前大韓航空機で韓国に向かった[32]。この他のスケジュールは東京、名古屋、大阪で信者に説教し、霊感商法で使われた壷や多宝塔を輸入する会社ハッピーワールドなど統一教会系企業の訪問と明らかに宗教活動が中心であった[32]

https://ja.wikipedia.org/wiki/文鮮明

1975年に文鮮明が出した送金命令により[6]、日本の統一教会は過酷な集金・違法な商売を行いアメリカ・韓国等の統一教会の活動に多額の資金を送金した。1978年には世界言論人協会を発足させ、毎年世界各国の報道関係者を招いて「世界言論人会議」を開いた[26]。日本で1980年代から霊感商法などで大きな社会問題となった[5]。1982年にアメリカで脱税罪で18か月の実刑判決を受け服役したが、統一教会の普及の妨げにはなっておらず、出所後も統一教会のトップであり続けた[10]

メディアの影響力に早くから注目し、1975年1月には勝共連合機関紙「思想新聞」を改称発展させる形で、事実上統一教会と勝共連合の機関紙である世界日報を日本で、次いで1982年アメリカ合衆国で、自らが主導して「ワシントン・タイムズ」(有名紙ワシントン・ポストとは別物)を発刊[26]。その後も「ニューヨーク・シティ・トリビューン」、ウルグアイで「ウルティマス・ノティシアス」、中東で「ミドル・イースト・タイムズ」を発刊、1989年には韓国でも世界日報を発刊した[26]2000年には経営危機となったアメリカのUPI通信社を買収した[27]。これらの発行に必要な莫大な経費は、日本の統一教会の信者による経済活動が支えている[26]

2012年9月3日午前1時54分、入院先の韓国・京畿道加平郡の清心(チョンシム)国際病院で肺炎などの症状によって92歳で死去[28][29][30][31]

https://ja.wikipedia.org/wiki/文鮮明

2010年に山谷えりこ陣営による有田芳生対策の文書が有田芳生によって公開された際は

 有田芳生のブログ→https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/c8/263971656da5122bdefc21045f982bb6.jpgより引用

実は統一教会と敵対関係とは見せかけで実はズブズブな関係だったことが週刊新潮の記事によって明らかに

「選挙で誰が統一教会の支援を受けるかは、安倍さんの一存で決まるといわれていました」  と明かすのは、自民党のベテラン秘書。 「教会の組織票は約8万票といわれています。ただ、衆院選では1選挙区当たりの統一教会の票数はそれほどでもないので、参院の全国比例でその組織力が発揮されます。どの候補を応援するかは、安倍さんの意向がかなり反映される。落選しそうな意中の候補がいれば、安倍さんから“彼を頼む”といった具合です」  実際、過去に統一教会系の団体から推薦を受けた元議員はこう語る。 「推薦を受けるにあたって団体のトップと面談をします。そこでは、不倫スキャンダルや金銭トラブルがないことが条件で、さらに安倍元総理が応援している候補であれば、ほぼ確実に支援してもらうことができます。選挙の直前になると、統一教会系の施設で泊まりがけの研修を行います。自分の場合は妻同伴で2泊3日でした」

 そうした安倍元総理肝いりの候補の一人だったのが、元産経新聞記者で、2013年の参院選全国比例で初当選した安倍派北村経夫参院議員だ。カルト宗教に詳しいジャーナリストの鈴木エイト氏によれば、 「初当選時、当時首相だった安倍氏が北村氏の選挙応援を教団に依頼しているのです」  教団の内部文書にはこう書かれていた。 「〈首相からじきじきこの方(北村氏)を後援してほしいとの依頼〉〈まだCランクで当選には遠い状況です〉〈今選挙で北村候補を当選させることができるかどうか、組織の『死活問題』です〉と。19年の参院選でも統一教会内部で北村氏を応援するビラが出回っていました」  北村事務所は取材に、 「旧統一教会から支援を受けたことも、見返りを求められたこともありません」  と回答するも、自民党山口県連の関係者によれば、 「北村さんはいずれの選挙も盤石な地盤を築いていたとは言い難く、安倍さんが選挙直前になって慌てて、統一教会に支援を依頼したといわれています」  7月28日発売の「週刊新潮」では、かつて教団と警察のパイプ役を担ったと語った平沢勝栄前復興相にも直撃し、教団の政界汚染について詳しく報じる。

https://news.yahoo.co.jp/articles/05a36e1c1a1d3878b4c1df47547a7a2d21726485

8万票かぁ…票稼ぎに利用してた団体の一つくらいの規模ですね。微妙…しかし弱小候補者にとっては懇願してでもほしい票田だったのかもしれませんね。

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