故・中川昭一氏の酩酊会見の裏側を中川郁子さんが今になって大暴露!!ということは酩酊会見の黒幕はCIA?と噂されるその内容がエグすぎる。読売新聞は公式になぜそのような中川氏を嵌め殺しにするようなことをしたのか説明し、謝罪すべきである。

中川郁子氏の投稿はこちらから

https://www.facebook.com/story.php?story_fbid=25836150052752826&id=100003535547262

国士、中川昭一氏の妻である中川郁子さんが先ほど衝撃的な投稿をしています。
捏造された酩酊会見の裏側。財務省と読売新聞に嵌められて薬を飲まされた経緯。

「俺はアメリカから殺される」
「子供達を頼む」

以下、投稿を転載します。

夫は、帰国して成田空港を出て、わたしと電話で話をするまで、ローマの記者会見について、日本のテレビやネットで大炎上していたことを知らなかった…
同行していた財務省の方々が、なぜ、夫に伝えなかったのか。
今でも疑問に思います。

〜〜〜〜
2009年2月13日、ローマでのG7会合の合間を縫って
夫は、日本の財務金融担当大臣として、IMFのストロスカーン専務理事と調印式を行いました。
リーマンショック後の金融危機に対応するため日本からI MFに1000億ドルの融資を実施するという合意文書に調印したのです。
日本がIMFの資金基盤を強化し、新興国を含む世界経済の安定に貢献するための重要な金融支援でした。

日本が世界的な金融危機に大きな貢献をし、その危機管理能力を高く評価されるものと、夫も、麻生太郎総理大臣も確信していたのでした。

夫は、成田空港到着後、財務省の公用車に乗りこむと直ぐに、わたしに電話をかけ、
「日本のテレビはどうだった?ずいぶん褒めていただろう?」
と聞きました。
日本では、IMFとの調印式について全く報道されないどころか、
朝から「酩酊会見、日本の恥だ!」
テレビもネットも大騒ぎだったのです。

スマホ、タブレットもSNSもない時代です。
本人は、役所の方々から聞かされなければ何も知ることは出来ません。
ローマには、篠原尚之財務官も玉木林太郎国際局長やその他の幹部職員も、財務省側の秘書官などたくさんの方々が同行していました。
成田空港には、大臣出張を出迎えるほかの幹部もいたはずです。
成田空港到着は午後3時過ぎ、わたしがテレビで見たのは午前9時。息子がインターネットで大騒ぎになっていることをわたしに知らせてくれたのはそれより前です。
なぜ、夫には情報は伝わっていなかったのか?

わたしは、夫の問いに
「なにも知らないのですか?その車に乗っている秘書官にすべて聞いて下さい!」
と答えるのが、やっとでした。

翌朝、山本高史秘書(中川事務所)が泣きながら、わたしの家に来ました。
IMF調印式のあと「今日の会見はなくなりました」と財務省側の事務秘書官から言われたので、財務大臣会合で各国の大臣からいただいたお土産などを、パッキングするために自分の部屋に
戻ったのだそうです。
しかし、その後、
「会見が始まります」と言って誰かが連れ出したのだ、
と説明をしました。
後日、夫を連れ出したのは、玉木林太郎国際局長だったことがわかります。

山本秘書が部屋に戻ったのを確認すると、玉木林太郎国際局長は、まず、夫をランチに誘いました。
オフィシャルなランチ会合は既に終わっていましたが、内輪でやり直そう、と玉木林太郎さんがセッティングしました。
そこには、読売新聞の越前谷知子記者、日本テレビ原聡子記者がいました。
越前谷さんは、玉木林太郎さんとは特段の仲らしく、わたしは面識はありません。
一方、原聡子記者は、夫の好きな「笑点」の公開録画に誘うなどずいぶん近づいていましたが、日本テレビ社内的には担当外でした。

夫も、玉木林太郎さんから「記者会見はなくなりました」と聞いたそうです。
このとき、夫は、越前谷さんから、「記者会見がなくなったのなら、この薬を飲んで食事のあと、ゆっくり休んだら?」と言われて、渡された薬を飲みワインを一口だけ飲んだのだそうです。
夫は、ワイン好きでしたが、海外出張のときは飲まないようにしていました。

この直後、越前谷知子記者は、「おもしろいことが起こるわよ」と、複数の人に伝えていたそうです。
事件後、越前谷記者は、アメリカ勤務になり日本からは姿を消しています。
原聡子記者は、誰より先にわたしたちの自宅前に到着して夫の帰宅時にマイクを向けていました。
その後、日本テレビの花形情報番組の「バンキシャ!」のキャスターに抜擢されています。

話は戻ります。
ランチのあと、部屋に戻り休んでいる夫を、玉木林太郎さんが
「記者会見は、やはりやることになったので」と言って迎えに来たのです。

夫の死後、葬儀が終わったあとになってやっと現れた玉木林太郎さんは
「ホテルの部屋にお迎えに行ったとき、中川昭一大臣は酩酊状態ではなく、しっかりとしておられました。これによって中川大臣の名誉は保たれます。」
と言われました。
わたしからは
「財務省の名誉が保たれる、の間違いではないですか?」
とお応えしました。

玉木林太郎さんは、麻布高校の同級生でしたが、在学中も卒業後も全くお付き合いはありませんでした。
夫が玉木さんを認識したのは、玉木さんが在アメリカ合衆国日本大使館経済公使になられた頃です。

ワシントンで、別の経済公使から紹介されました。
夫が財務大臣に就任してから、玉木林太郎さんも国際局長へとジャンプアップし、なにかにつけて相談しているようで、いちばん近くにいた印象があります。

帰国後、予算委員会での審議の2日目の夜、自民党から慶應病院に入院するように促され、テレビのテロップで「財務大臣更迭」を知らされました。
「病室ではテレビを見ないでね」と、
高校生だった息子が、TSUTAYAで夫が大好きな映画をたくさん借りて来ました。
数ヶ月後、会見を見たのか恐る恐る尋ねると、
「見た、信じられなかった…」
そのときの夫の顔を忘れることができません。

わたしは、その後、何度も「記者会見」を見ましたが、ろれつがまわっていない夫の両脇には、篠原尚之財務官と白川日銀総裁が、何も言わず、表情をひとつ変えずに座っていたこと、テーブルにはワインが置かれていたことは、極めて不自然に思いましたし、今でも不思議でなりません。

玉木林太郎さんは、その後、財務官に昇格し、夫の死後は、
OECD事務次長へと異例の出世をして行きます。
夫に玉木林太郎さんを紹介した方もその後、民主党政権で外務事務次官に昇格しましたが、自民党に政権が戻ると、安倍総理から事実上の更迭、僅か9ヶ月で退任することになります。
安倍総理は、何かを知っていたのかも知れません。

〜〜〜〜
「自分は、アメリカから殺される」
「こどもたちを頼む」
夫が繰り返し、わたしにそう話すようになったのは、亡くなる10年ほど前からだったと、思います。

気になったのはこの部分黒幕の読売に加えて玉木林太郎と白川日銀元総裁の慰霊の出世、つまり彼らは米国のスパイだったということか?なんならCIA?

わたしは、その後、何度も「記者会見」を見ましたが、ろれつがまわっていない夫の両脇には、篠原尚之財務官と白川日銀総裁が、何も言わず、表情をひとつ変えずに座っていたこと、テーブルにはワインが置かれていたことは、極めて不自然に思いましたし、今でも不思議でなりません。

玉木林太郎さんは、その後、財務官に昇格し、夫の死後は、
OECD事務次長へと異例の出世をして行きます。
夫に玉木林太郎さんを紹介した方もその後、民主党政権で外務事務次官に昇格しましたが、自民党に政権が戻ると、安倍総理から事実上の更迭、僅か9ヶ月で退任することになります。
安倍総理は、何かを知っていたのかも知れません。

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「自分は、アメリカから殺される」
「こどもたちを頼む」
夫が繰り返し、わたしにそう話すようになったのは、亡くなる10年ほど前からだったと、思います。

玉木林太郎とは?

玉木氏は財務官僚として長年日本経済の国際戦略を支えてきた人物です。一方で、2009年のある事件をきっかけに、陰謀論の渦中に巻き込まれています。まずは公式プロフィールから見ていきましょう。

1. 玉木林太郎氏の経歴概要

  • 生い立ち: 1953年生まれ、東京都出身。父は元防衛施設庁長官の玉木清司氏。麻布中学校・麻布高等学校卒業(同期に元財務大臣・中川昭一氏)。
  • 学歴: 1976年3月、東京大学法学部第3類(政治コース)卒業。
  • キャリアの歩み(主な役職):
  • 1976年4月:大蔵省(現・財務省)入省(国際金融局国際機構課)。
  • 1980年代:OECD(経済協力開発機構)への複数回の派遣(経済統計局、金融企業局など)。
  • 1994年:国際復興開発銀行(世界銀行)出向。
  • 2002年7月:外務省在アメリカ合衆国日本国大使館公使(ここが米国との直接的なつながりの一つ)。
  • 2007年7月:財務省国際局長。
  • 2009年7月:財務官(国際金融外交のトップ)。
  • 2011年7月~2017年:OECD事務次長(税制・金融・開発・環境などを担当。一時チーフエコノミストも兼務)。
  • 2017年10月~現在:公益財団法人国際金融情報センター(JCIF)理事長。
  • その他:東海東京証券社外取締役、2025年瑞宝重光章受章。

玉木氏は一貫して「国際金融畑」を歩んできたエリート官僚です。OECD事務次長という国際機関の要職を日本人として務め上げた実績は、財務省内でも極めて異例のものです。現在はJCIF理事長として、新興国を中心とした国際金融・経済情報の収集・分析に携わっています。

2. 米国とのつながり

玉木氏のキャリアで特に目立つのは、米国との密接な関係です。

  • 在米大使館公使(2002年):ワシントンDCで日本政府の国際金融外交を直接担当。
  • 世界銀行出向(1994年):米国に本部を置く国際金融機関での勤務経験。
  • 財務官時代(2009年頃):米財務省当局者との会談やIMF・G7/G20での対米交渉を頻繁に行い、為替政策や金融危機対応で米国側と緊密に連携。
  • OECD事務次長時代も、米国主導の国際経済政策(税制改革、気候変動対策など)に深く関与。

これらの経験から、玉木氏は「親米派官僚」の代表格と見なされることが多く、米国の金融・経済政策に理解が深い人物として評価されています。実際、ワシントン訪問や米財務省とのパイプは、財務省の国際局長・財務官にとって必須のスキルと言えます。

3. 「CIA工作員ではないか」という疑惑の起源

ここからが本題の「疑惑」です。ネット上(特に2ちゃんねる系掲示板、ブログ、atwikiなどの陰謀論サイト)で、玉木氏が「CIAの工作員」「アメリカの手先」「反日官僚」と呼ばれることがあります。最大のきっかけは2009年2月の「中川昭一G7酩酊会見事件」です。

事件の経緯(公式事実)

  • 2009年2月、G7財務相・中央銀行総裁会議(ローマ)。当時財務大臣だった中川昭一氏(玉木氏の麻布高校同期)が、記者会見で呂律が回らず朦朧とした状態に。
  • 会見直前の昼食時、中川氏は財務省国際局長だった玉木氏や同行記者らとホテルで会食(ワインを飲んだとされる)。
  • 中川氏は「風邪薬+少量のワイン」と説明したが、会見の様子が「飲酒スキャンダル」として大問題化し、辞任に追い込まれた。

陰謀論の内容

  • 一部のネット論では「中川氏が金融危機下で米国批判(米国債購入圧力や金融投機への注文)を強めていたため、米国金融筋(またはCIA)が中川失脚を画策。玉木氏がワインに睡眠薬(ハルシオンなど)を盛った」「読売新聞記者・越前谷知子氏(当時)と共謀」「玉木氏は事件後、財務官→OECD事務次長と異例の出世をした」と主張。
  • さらに「玉木氏の在米公使経験や父の防衛施設庁長官という出自から、CIAとのパイプがある」「財務省内の親米派が麻生内閣を潰すための刺客だった」といった話まで広がっています。
  • 関連して「読売新聞=CIA日本支部」説も絡めて語られることが多いです。

現実的な検証

  • 玉木氏本人は国会答弁などで「飲酒の様子を見ていない」「薬物関与は一切ない」と否定。
  • 中川氏の死(2010年、自宅で発見)も含め、すべて「疑惑」止まり。主流メディアはほぼ取り上げていません。
  • 玉木氏の出世は、国際金融の専門性とOECDでの実績が評価された結果と見るのが自然です(OECD事務次長は日本政府の推薦によるポスト)。

財務大臣職は、世界的な金融危機下となり、日本国内市場に対する危機回避策として、政府保有株の売却凍結・空売り規制強化・ドル供給オペ拡充・無制限のドル貸し出しなどを行った[要出典]

国際財政・金融

IMFへの緊急融資財務大臣就任後間もない、リーマンショックの1か月後である2008年(平成20年)10月、先進7ヶ国財務相・中央銀行総裁会議に出席した中川は、国際通貨基金(IMF)に新興・中小国向けの新たな緊急融資制度を設けることを提案、各国から高い評価を受けた[38]。この「中川構想」には、ブラジルを始めとする中南米諸国が、これを歓迎することを公式に表明[39]、その後実際にウクライナベラルーシパキスタンが、「中川構想」に基づく緊急融資を受けることで救済された。翌2009年(平成21年)2月にはアメリカ合衆国財務長官ティモシー・フランツ・ガイトナーと会談、同国が検討する「バイ・アメリカン条項」に懸念を示した上、保護主義の排除で一致した[40]。続いて行われたG7会議では、各国間での保護主義的な施策への牽制が日本主導で行われ、特に同会議の開催国であったイタリアのメディアがそれを高く評価した[41]。麻生内閣はIMFへの緊急融資について、「IMFが市場で資金調達をするための担保として米国債を提供し、日本政府は財政負担なしに利益だけを得られる」と説明した。日本からの資金拠出と高評価日本は、新興・中小国の救済のために、IMFに外貨準備金の一部を拠出する[注 9]取り決めに署名した[42]。その額(1,000億米ドル)は、IMF加盟国による資金提供としては過去最大規模であり、IMF専務理事のドミニク・ストロス=カーンは、「日本による融資は、これまでの人類史上で最大規模のものだ」という謝意を表明した[43][44]

中国への警戒

2006年(平成18年)4月、当時の経済産業大臣親中派である二階俊博(前任の大臣は中川自身)による東アジア包括的経済連携協定(東アジアEPA)構想について、「これは中国の参加を想定しているが、2005年(平成17年)春に中国で起きた反日デモにおいて、一般人や民間企業が襲われたことの総括もできていない(状態では時期尚早)」と反対した[要出典]。中川はまた、「日本は中国と経済連携協定締結の努力をするべきではない。なぜなら中国は日本国民の安全を保証できないからだ」とした[要出典]

同年6月、日本政府が凍結していた中国向け円借款の再開を決めたことについても中川は、「なぜ中国に対し、また援助するのか。正直言って分からない」と、親中的な政策に異議を唱えた

https://ja.wikipedia.org/wiki/中川昭一

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