一時期世間を騒がせた沢尻エリカの薬物事件
勾留先の東京湾岸署から保釈された際に、女優沢尻エリカ被告(33)を乗せていた車は都内の病院に入り、午後9時すぎに病院を後にした。
沢尻は同日夜、所属事務所を通じて文書を発表。「多くの方々を裏切ってしまったことを心の底から後悔しております。今後、違法薬物と決して関わりを持つことのないよう、人間関係を含めたつながりを一切絶つことを固く決意し、専門家の指導も受けて、立ち直ることをお約束します」コメントした。
その上で「本日は、その第一歩として、検査を受けるため、医療機関へ向かわせて頂きました。書面でのお詫びとなることにつき、ご理解とご容赦を賜りますようお願い申し上げます」と続けた。
沢尻被告の所属事務所は、公式ホームページでコメントを発表。「沢尻エリカは、本日違法薬物所持の容疑で起訴されました。ファンの皆様を含め関係各方面の方々には多大なるご迷惑とご心配をおかけしておりますことを改めておわび申し上げます」と謝罪した。
その上で「皆様におかれましてはさまざまなご意見があるとは存じますが、弊社といたしましては弁護士を含めた専門家の指導の下、本人を更生するための支援をいたします」と更生支援する方向性を明かした。
https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201912060001066.html
経歴は?
沢尻 エリカ(さわじり エリカ、1986年4月8日 – )は、日本の女優、歌手。本名、澤尻 エリカ(読み同じ)。元スターダストプロモーション所属。エイベックス・マネジメント(旧エイベックス・ヴァンガード)所属。
東京都出身。日出高等学校(現・目黒日本大学中学校・高等学校)中退[2][3]。後述の薬物事件の影響で2019年11月から事実上の芸能活動停止状態にあったが、2024年2月に女優業に復帰予定[4]。
経歴
1997年、小学6年生の時に芸能界デビュー[注釈 1]。初仕事は、『りぼん』の懸賞ページのモデルだった。その後『ニコラ』のモデルであるニコモとして活動。2002年、『フジテレビビジュアルクイーンオブ・ザ・イヤー2002』に選出。
2003年に『ホットマン』(TBS)でドラマ初出演、2004年に『問題のない私たち』で、映画初出演。
2005年、『パッチギ!』で演じた「リ・キョンジャ」役が高く評価され、数多くの映画賞・新人賞を受賞した。同年、フジテレビ放映のドラマ『1リットルの涙』でドラマ初主演。最終回で視聴率20%を超える大ヒットとなった。同作での演技が高く評価され、2006年エランドール賞・新人賞や、第43回 ゴールデン・アロー賞・新人賞を受賞した。
2006年、『タイヨウのうた』(TBS)で山田孝之とともにダブル主演を務めた。8月30日に同作で演じた“Kaoru Amane”名義のシングル『タイヨウのうた』で歌手デビューし、オリコンチャートで2週にわたって1位を獲得し、その後も史上初の5週連続TOP3入りを記録し、累計48万枚以上の大ヒットとなった。
2007年9月29日、主演映画『クローズド・ノート』の舞台挨拶で不機嫌そうな振舞いをみせ、世間・マスコミによりバッシングを浴びせられる[5](詳細は#「別に」騒動を参照)。
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2009年1月7日、クリエイターの高城剛と結婚[6]。同月19日、明治神宮で挙式を、同月25日、ハワイ島で結婚披露パーティーを行った[6]。同年9月30日付けで前事務所のスターダストプロモーションとの専属契約が解消され、芸能活動を2010年春まで休止。2010年4月27日、離婚の意思を表明[6]。2013年12月26日、離婚成立[6]。
2010年3月、スペインに個人事務所「エル・エクストラテレストレ」(スペイン語で「宇宙人」を意味する)を設立し、芸能活動を復帰すると報じられた。CMには多数出演していたものの、約2年ぶりに本格的に芸能活動を再開。また、同国の首都であるマドリッドを拠点として活動予定であることも加えて報じられた[7]。
2011年4月1日、エイベックス・マネジメント株式会社と業務提携契約を締結。
2012年2月1日からBeeTVで配信されたドラマ『L et M わたしがあなたを愛する理由、そのほかの物語』で女優復帰。同年7月14日、5年ぶりの主演映画『ヘルタースケルター』が公開。5年ぶりの主演映画となり、同作の演技で、日本アカデミー賞優秀主演女優賞を受賞した。
2014年4月クールの『ファースト・クラス』(フジテレビ)の主演を演じる。深夜枠放送にも関わらず視聴率10%を超えるヒットとなる。同年10月、続編「ファーストクラス」が放送終了からわずか3ヶ月というフジテレビでは史上初最短でのシリーズ2作目の放送開始となる。
2015年4月クールの月9ドラマ『ようこそ、わが家へ』で月9初出演。
2016年1月、『大奥』(フジテレビ)で時代劇初主演。8月、ヒロイン役を務めた「24時間テレビ」のスペシャルドラマ『盲目のヨシノリ先生〜光を失って心が見えた〜』(日本テレビ)の平均視聴率が20.5%を記録した。
2019年3月8日にNHKの2020年大河ドラマ『麒麟がくる』の帰蝶役として出演することが公表された[8]が、同年の11月16日、麻薬取締法違反の容疑で逮捕された。NHKは沢尻の逮捕を受けて、出演者の変更を決定。11月22日、正式に降板となった(詳細は#薬物事件を参照)。
2023年の8月には、松浦勝人のYoutubeに出演したことで話題になった。
2024年2月上演の初主演舞台『欲望という名の電車』で約4年ぶりに芸能活動を再開予定であることが発表された[4]。
騒動・不祥事
「別に」騒動
2007年9月29日、東京・有楽町の日劇2(TOHOシネマズ日劇)で主演映画『クローズド・ノート』の初日舞台あいさつに出席した沢尻は、壇上で終始腕組みしたまま不機嫌な態度を隠さず、司会の富永美樹が「印象に残ったシーンは?」と質問すると「特にないです」と言い放ち、クッキーを焼いて現場に届けたエピソードを聞かれると「別に」と答えた[5]。
同年10月2日、公式サイトに謝罪文を投稿し、4日に『スーパーモーニング』のインタビューで、「あの日の行動ですべてをぶち壊してしまった」と涙ながらに謝罪した[9]。
その後、『サンデー・ジャポン』や『アッコにおまかせ!』などのワイドショーで、「別に」と答えたシーンが何度も取り上げられ、世間やマスメディア、インターネットで大バッシングを受けた[10]。
沢尻は、2019年9月22日に出演した『ボクらの時代』で、「20歳とかそれぐらいの時が本当に忙しくて。あの当時の私、偽っていたわけよ。『こうしなきゃいけない』『沢尻エリカ像はこうだ』みたいなのが自分の中ですごくあって、それって偽りなわけよ。それで結果、自分が潰れてしまった」「本当にすごいバッシングだった」と騒動について振り返った[11]。
薬物事件
2019年11月16日、警視庁(組織犯罪対策第五課[12])に、合成麻薬MDMAを含む粉末(カプセル入り)を所持した麻薬取締法違反の容疑で逮捕(緊急逮捕[12][13])された[12][13]。沢尻本人は容疑を認めていると報じられた[12][13]。12月6日、麻薬取締法違反の罪で起訴された[14]。同日、保証金500万円を納付し、保釈された[15]。2020年1月31日に東京地方裁判所で初公判が開かれ、沢尻は起訴内容について認めた[16]。検察側は懲役1年6月を求刑し、弁護側は執行猶予付き判決を求め、即日結審[17]。同年2月6日に判決公判が行われ、懲役1年6月・執行猶予3年の有罪判決が言い渡された[18]。2月21日、期限までに検察、弁護側双方が控訴せず、判決が確定した[19]。
この事件で沢尻は芸能活動休止を余儀なくされ、初公判において、女優業復帰は考えていない事も公表し[16]、このため事実上の芸能活動停止状態となった。なお、NHKの2020年の大河ドラマ『麒麟がくる』(帰蝶 役)への出演が公表されていたが[20]、NHKは沢尻が2019年11月16日に逮捕されたことを受けて、出演者の変更について決定し、11月21日に発表[21][22][23]。翌11月22日、正式に降板となり代役は川口春奈が務めることとなった[24]。他のメディアの報道によれば、沢尻は第1回(2020年1月5日放送)から出演する予定で[22]、10話分の登場シーンが撮影済みだった[22][23]。
芸能界は事実上の活動停止状態であったが、以後もエイベックスマネジメントとは契約継続中である。
人物
特徴
さばさばとした性格で、本人も自らを男らしい性格と語っている。
元々は天然パーマで、『ニコラ』モデル時代の初期の写真はクルクルヘアーだった。当時掲載されたプロフィール紹介において、自分の好きな所と嫌いな所は何かという質問に「嫌いなとこも好きなとこも天然パーマなところ」と答えている。
自分のいいところはごきげんなところで、ダメなところは、飽きっぽいところと熱しやすく冷めやすいところ[25]。好きな言葉は「ありがとう」[26]で、嫌いな言葉は「がんばれ」。
アイドル時代の夢は女優かヘアメイクアーティストになることだった[26]。今でも写真、CM、舞台挨拶などでのメイクはほとんど自分でする。
その振舞いから「エリカ様」「女王様」と一部メディアが呼称している[27]。ネットや雑誌などで噂になった「沢尻会」の存在は完全否定している[28]。噂のもう一方の当事者である長澤まさみを自身のラジオ番組のゲストに招いて歓談する様子が放送されている[29]。
喫煙者(ヘビースモーカー)であり、2009年に高城剛と結婚して以降、禁煙していたが2010年に失敗し再喫煙している[30]。
仕事
女優としてのポリシーは、まず脚本を読んで、その役をイメージできるかが重要で、イメージできればやるし、できなければやらない[31]。役に入っているときは集中するので、そのあと休暇をとって「役落し」をしないと次の作品に入れない[25]。
2012年5月、一連の騒動からの本格的女優復帰主演作となった映画『ヘルタースケルター』では、『りりこ』役に深く入り込み、監督である蜷川実花をして「現場での彼女はりりこそのものでした」と言わしめた。ただ、精神を病み、心身ともに破滅へと向かっていく役柄に集中したためか、体調を崩し、PR活動の休止が発表された[32]。
交友関係
ドイツの人気グループshanadooのメンバー福愛美[33]とは小学・中学の同級生で一緒に芸能界へ入った当時の親友であった。また元女優の岩佐真悠子やあびる優[34]、片瀬那奈[35]、高校の同級生である香椎由宇[36]、マリエ、紗栄子、内山理名、加賀美セイラ[37]、カメラマンの蜷川実花、俳優の松田翔太、綾野剛、元俳優でDJの小橋賢児などと仲が良いほか笑福亭鶴瓶とも交友があるなど幅広い人脈を持つ。
家族
- 父親が日本人で母親がアルジェリア系フランス人(アルジェリア生まれフランス育ちのベルベル人)のハーフ。
- 名前のエリカは、ツツジ科のエリカ(ヒースの一種)に因んで命名された。中華語圏では「繪里香」と表記していたが、2007年に本人が知って「翻訳名があまりにも可愛らしすぎる」として「英龍華」表記を採用することを望み、以後この表記が用いられている[38]。
- 子供の頃は乗馬やダンス、ピアノを習っていた。父親が競走馬を数十頭所有するなど幼少期は比較的裕福な家庭に育つも、中学の時に父親を病気で亡くす。その後すぐに次兄を交通事故で亡くすという、不幸に見舞われている。
先述通り父は日本人で、母はアルジェリア系フランス人(アルジェリア生まれフランス育ちのベルベル人)のハーフで、3人兄妹の末っ子である。
父親はエドノコバン他、16頭の競走馬を所有していた馬主だったが、9歳の時に失踪、中学3年の時に家に帰ってきたがその年癌で死去。
母親は以前、地中海レストランを経営。店には沢尻のポスターが貼ってあり、沢尻も時々店を手伝っていた。このレストランは営業を終了している[26]。
長兄は元俳優。次兄は高校1年の時に交通事故で死去。
家族ととても仲が良く、沢尻は「“大切”という言葉では表現しきれないほど強い力で結ばれている」と語っている。ドラマや映画の撮影後は家族旅行に出ることが多く、『タイヨウのうた』撮影後は家族で沖縄旅行へ行った。
今まで生きてきた人生の中で、忘れることができない一冊の本として、木内鶴彦著の「生き方は星空が教えてくれる」をあげている。2007年ごろ、ジーン・スタイン、ジョージ・プリンプトン(英語版)『イーディ―’60年代のヒロイン』青山南、中俣真知子、堤雅久、古屋美登里翻訳(筑摩書房、1989年2月)を読んでいた[39]。
父親の影響もあり、小さいころから馬に親しみ、乗馬が得意である。ダンスを習っていたことがある。また音楽は「生きていくために欠かせない一部である」としていた。[25]
https://ja.wikipedia.org/wiki/沢尻エリカ
この沢尻エリカを匿っていたのが慶応大学病院
慶應病院に沢尻エリカを匿っていた医者とは?
著名芸能人の薬物摘発が相次いだ2019年。最たる例が沢尻エリカ(33)であろう。そのお騒がせ女優が匿われているのは、あの大病院。キッカケは総理の主治医の存在だった……。
合成麻薬「MDMA」「LSD」の所持で起訴された沢尻。1月末には初公判が予定されている。
「初犯ですから、判決に執行猶予が付くのは確実ですね」
と言うのは、元「マトリ」の高濱良次氏である。
「ただ、常習ではないにしろ、10年以上の使用歴があるというのは、立派な依存症と言えますから、まずは3カ月程度の入院、そして、その後も長い通院が必要となるはずです」
復帰への道のり遥かな彼女がいま、身を寄せるのは都内新宿区にある慶応大学病院。言わずと知れた日本を代表する大病院である。
「12月の頭に起訴。即日、保釈された沢尻は……」
と言うのは、スポーツ紙の芸能デスク。
「湾岸署から出たその足で、マスコミが追いかける中、そのまま入院しました」
むろん渦中の人物である彼女が一般病室に入るワケもない。向かった先は特別個室。同病院のHPにある紹介文によれば、
〇入退室に専用カードキー
〇コンシェルジュが身の回りをサポート
〇特別に用意されたアメニティ
〇一般病棟とは異なる食事
全室シャワー・トイレ完備で、テレビもインターネットへの接続も可。要は、マスコミも周囲の好奇の目も遮断し、快適な生活を送れる「隠れ家」が出来たというワケなのだ。
500万円以上の…
むろん特別個室にも、1泊5万円から24万円のものまで「ランク」がある。沢尻はこのうち、最も豪華な部屋に入った、との報道もあったけれど、
「いや実際は数万円のところです」
とは、事務所関係者。
「いまは全身の検査を受け、結果が出はじめたところ。面会も家族に限り、生活リズムを元に戻すことに専念しています。空いた時間は読書などをして過ごしているみたいですね。まもなく依存の程度に従ってプログラムが組まれ、いよいよ治療が始まります」
と言うから、体制は万全。一度地に堕ちた女優にとっては最良の選択だが、
「うちに入れたのは、ある著名な准教授の紹介だったことが大きいんです」
と言うのは、さる慶応病院の関係者である。
その准教授の名は永田町ではよく知られている。5年ほど前から前任の引継ぎで、潰瘍性大腸炎の難病を抱える、安倍総理の主治医を務める人物だ。
「がんの専門医ですが、総理の信頼は厚い。求めに応じ、私邸や行きつけのジムで“診察”を続けています。実は彼と沢尻さんの所属事務所の間に付き合いがあり、その縁で彼女をうちに繋いだんです」(同)
仮に3カ月を超える長期入院となれば、一番安い部屋としても500万円以上に上る計算になる。
「費用は本人と家族持ち」(前出・事務所関係者)というが、
「これだけの事件を起こし、巨額の賠償金の支払いも確実と言われる中で、至れり尽くせりの事務所のサポート……。お姫様扱いをしたくなる、何かを持っているということでしょうか」(前出・デスク)
やっぱりこの人、本質は「エリカ様」なのである。
https://www.dailyshincho.jp/article/2020/01061101/?all=1
安倍総理の主治医は誰?
1日に20~30回もトイレに駆け込むようになり、夜も4~5回はベッドとトイレを往復するようになって寝られなくなる。こうした症状は、何の前触れもなく起こり、ひとたび発症すると1ヵ月間ぐらい続きます」
こう話すのは、元首相の安倍晋三氏(57歳)だ。長年、潰瘍性大腸炎を患ってきた安倍氏が出会えた名医とはどのような人物だったのか。安倍氏が続ける。
「神戸製鋼に入社したあとの、20代半ばの頃のことです。発症から1ヵ月経っても治らないので会社の病院に行ったところ、はじめて潰瘍性大腸炎という診断を受け、専門医がいるという慶応大学病院を紹介されました。現在は同病院の消化器内科の日比紀文教授と高石官均講師のコンビに診てもらっています。
とりわけ’06年9月に首相に就任した後は、大変お世話になりました。幹事長、官房長官時代はおさまっていた炎症反応が、再び出始めてしまったのです。そこで日比先生には、’07年1月の欧州歴訪以降の外遊に同行していただきました。首脳会談の途中、急に便意をもよおし思考能力が鈍ってしまったら、総理としての責任を果たせないからです。先生がそばにいてくれたので、非常に心強かった。
もっともその後、この持病が原因で総理辞任を余儀なくされましたが、在任中は夜遅くに突然体調が悪くなった時でも、無理を言って日比先生や高石先生には何度も公邸に来ていただくなど、献身的に診てもらいました」
両者の信頼関係がさらに深まることになったきっかけ—それがセカンドオピニオンだったと、安倍氏は次のように明かす。
「実は、日比先生に大変お世話になる一方で、セカンドオピニオンを求めて、別の病院に『浮気』したことがあります。党の国対副委員長を務めていた’98年前後のことです。ちょうど私の持病が悪化していた時期で、もし日比先生のところに行けば、まず間違いなく入院をすすめられるだろうし、そうなったら政治活動に支障をきたすと思い、入院だけはなんとしても避けたかった。
そこで、セカンドオピニオンを得るつもりで、都内のある病院を訪れて内視鏡で診てもらったところ、病状が非常に悪化していることがわかり、結果的には約3ヵ月間入院しました。その間、食事はできず点滴だけでしたから、現在70kgある体重が、45kgぐらいにまで落ちてしまいました。
しかも、いつまで経っても退院の見通しがまったく立たない。不安に駆られたのです。どうすればいいのか。そこで私は『浮気』してしまった手前、とても心苦しく、非常に気が引けたのですが、入院先から日比先生に電話を入れました。
すると日比先生は、『とにかくすぐに来るように』とあたたかく転院を受け入れてくれた。一度はよその病院を頼った私を再び快く受け入れてくれたのです。この時はほっとすると同時に、本当にありがたかったです。当時はまだセカンドオピニオンを前向きに捉えてくれない医師が多い中、日比先生は何よりもまず私の体調を真剣に心配してくれた」
日比先生の懐の深い対応に助けられた安倍氏は、日比医師に出会えた幸運を次のように感謝する。
「現在に至るまで、私の相談や悩みも親身に聞いてもらっています。
総理退任直後、同じ潰瘍性大腸炎を患っている、医師である渡辺喜美さんの妹さんが、『自分も飲んで効果がある』と言って『GBF』という特定疾患用健康食品を下さいました。一般的に大学のお医者さんは健康食品を積極的にすすめてくれませんよね。しかし、日比先生に飲用していいかどうか相談したところ、『試してみたらいい』といってくれた。その後、症状が緩和され、寛解期を延ばすことができているんです。
腸の炎症を抑える薬も二人で相談して決めています。現在はアサコールという腸の炎症を抑える薬だけを使っています。潰瘍性大腸炎は、血液検査のCRP(腸の炎症反応)の数値を見て病状を判断するのですが、この2年間はずっと0.3と正常値以下です。
これまで私は炎症反応を防ぐため、お酒を飲むのを控えていたのですが、体調がいいため酒を試しに飲んでみても、炎症反応は起きていません。完治したといっていい状態にまでこられたのは、日比先生の的確な処置のおかげです」
https://gendai.media/articles/-/22877?page=5
一人は日比紀文氏
もう一人は高石官均氏
2019年時点で日比氏は安倍晋三の主治医を辞めているのでおそらく沢尻エリカを匿ったのは高石官均氏だと思われる
統一教会の関連企業が発行してる「家庭画報」にも特集されてる
こうやって統一関連の雑誌でコーナー持ってるんで松岡修造さんも統一教会か創価かどっちかですね。
となると沢尻エリカも統一か創価
おそらくその関連で薬物を入手していたのでしょう。
慶應大学病院も闇ですね…