移民政策の現実…花の都”パリ”が違う意味で花の都(汚)に変貌

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花の都パリって言いますよね

なぜ花の都って呼ばれるか知ってますか?それはナポレオンが花(う○こ)の街から花のように清潔な街に生まれ変わらせたから

中世ヨーロッパではトイレに行くことを”お花畑に行ってくる”と言っていたのをご存じですか?

ヨーロッパでは昔から、豚が家畜として飼われていました。 豚というのは本人は清潔好きなのですが、こと食べ物となると非常に悪食で、人糞を食べるのです。 (中国では豚小屋は便所の下に作られていました) そのため、その辺に人糞を撒き散らしていても放し飼いの豚が食べて綺麗にしてくれたのです。 これが中世のヨーロッパの日常でした。 しかし、次第に都市部が発展して人口が増えたのに豚はいない…という状態になっていきます。 それでも人々は習慣化していた「糞尿を外に捨てる」ということを続けてしまいました。 結果、都市部は非常に不潔な状態になったのです。 当時のトイレというのは要するにおまるです。 あまり大きくないので、すぐにいっぱいになってしまいます。 貴族や金持ちの家では小間使いが中身を捨てていました。 その際に無精をして庭のその辺に捨ててしまっていたのがヴェルサイユ宮殿。 庭は庭師がちゃんと整備しているので糞尿を捨ててはいけないのですが。 しかもヴェルサイユは貴族たちが押し合いへしあいしつつ住み着いて(5000人くらい貴族が住んでいたらしい)いるものですから毎日出てくる物も相当な量に。 結果ヴェルサイユは非常に臭いことになってしまいました。 でも、ヨーロッパのどこでもそんな感じなので取り立ててどうこうとはならず。 窓から捨てていたのは、単純に手間を省くため。 どうせ街中全体が糞尿だらけなんですから「不潔」だとは思わない。 おまるで用を足したら、そのおまるは部屋の中をあまり動かさないのが基本です。 手で持って階段を上り下りするなんて「不潔」だからしません。 おまるは大きくないので1日溜まったら捨てる。 何日も溜めておくなんて「不潔」だからしません。 一声かけて窓から投げ捨てるのであればマナー違反にはならず、誰もが当たり前のように窓から投げ捨てていました。 それが日常だったのです。 当時のレベルでは日本が変だったんですけどね。 都市部で糞尿は大きな桶に溜められていて農家が定期的にそれを汲み取り肥料にするために買い取ってくれます。 また輸送用の牛や馬の糞も集めると肥料として買い取られるので、子供たちの良い小遣い稼ぎになりました。 おかげで江戸の町は大変綺麗だったわけです。 ヨーロッパの人間に言わせると「糞尿で育てた植物を食べるなんて不潔」ということになるのですが。 (開国当時の日本を見た外国人が上記のような事を書き残している) 要するに「不潔」の観念が違うのです。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1387808278

ナポレオンがこれを一新する

大都市パリでは農村からの人口流入が激しく、スラム街は肺結核やコレラ、チフスなどの感染症が広がり、1832年にコレラが大流行したときには死者の数が1万8000人以上に及び、首相のカジミール・ペリエまでもが命を落としている。

 貧困と感染症の蔓延は暴動を誘引しかねず、為政者としては都市衛生の改善は緊急かつ重大な懸案となった。下水道の整備は1832年に着手されたが、あくまで当座の修繕であって、本格的な都市衛生の改善が行われたのは第二帝政期(1852~1870年)だった。

 1852年にナポレオン3世が皇帝となった当時、パリは都市機能が完全に麻痺していた。市内中心部にはスラム街が広がり、不衛生と犯罪、感染症の巣窟と化していただけでなく、度重なる争議や暴動、市街戦の影響で、バリケードも設置されたままになっていた。

 そこで、ナポレオン3世はパリの大改造の決意を固め、その役目をセーヌ県知事のジョルジュ・オスマンに託した。オスマンは技師とともに、地下に巨大な導管を掘って、その中に下水溝と上水管を通すという画期的なアイデアを提案。上水道についても、旧来の水源からの水を非飲用にし、新たに敷設する遠い水源からの水を飲用にする案も了承された。

 地上の大改造には大きな抵抗が予想されたが、オスマンはナポレオン3世からの委任を盾に強引に計画を進めた。これにより市内中心部の曲がりくねった街路や貧民街が一掃された。また、オペラ座や中央市場などの公共建築が一新され、建物の高さに関して規制が設けられた。街路照明が大幅に増設され、最終的に現在の姿に近いパリの基本的景観が完成したのだった。

https://diamond.jp/articles/-/236171?page=4

しかし2022年現在では長年移民政策を推進した結果中世のパリに逆戻りに?!

フランス大統領選はどうなることやら。。。。

極左を貫いて国が崩壊しそうなフランスは右派に転じて自国の再生を始めることができるのでしょうか?

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