IMFは死神?…IMFのおかげで財政破綻した国ギリシャ・アジア諸国・アルゼンチン

IMFは死神?IMFの言うとおりにした結果財政破綻した国々を紹介します。

IMFとは?

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IMF(International Monetary Fund、国際通貨基金)は、1944年(昭和19年)7月の、いわゆるブレトン・ウッズ会議(米国ニュー・ハンプシャー州ブレトン・ウッズで開催された連合国国際通貨金融会議)で創立が決定、同会議で調印された「国際通貨基金協定(IMF協定)」により1947年(昭和22年)3月に業務を開始した国際機関です。2019年(令和元年)9月末現在の加盟国は189か国です。
出典 IMF(国際通貨基金)とは何ですか? : 日本銀行 Bank of Japan

IMFの主な目的は、加盟国の為替政策の監視(サーベイランス)や、国際収支が著しく悪化した加盟国に対して融資を実施することなどを通じて、(1)国際貿易の促進、(2)加盟国の高水準の雇用と国民所得の増大、(3)為替の安定、などに寄与することとなっています。主な会合には、年1回秋に開催される年次総会と呼ばれる世界銀行と合同の総務会、原則年2回開催される国際通貨金融委員会(IMFC、International Monetary and Financial Committee)などがあり、日本銀行からも総裁が出席しています。
出典 IMF(国際通貨基金)とは何ですか? : 日本銀行 Bank of Japan


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アジア諸国の場合(アジア通貨危機)


出典 www.aflo.com


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アジア通貨危機(2/3) IMFはいかにアジア経済を崩壊に導いたのか | セブ島留学マナビジン

アジア通貨危機とは1997年に発生した一連の金融・経済危機のことです。タイをきっかけとして始まり、インドネシア、マレーシア、韓国などに波及。翌年にはロシアやブラジルなどアジアを超えた地域にも影響が及びました。
出典 アジア通貨危機とは?原因や影響もわかりやすく解説 | 俺たち株の初心者!

アジア通貨危機はタイをきっかけとして始まりました。まずは当時タイが置かれていた状況を確認しておきましょう。

タイは1990年代急成長を遂げていた国の1つであり、1987年には経済成長率9.5%を達成。その後も95年まで8%以上の成長を記録しています。

アジア通貨危機に見舞われたアジアの国々にしても、起きていたのは景気後退です。

景気が後退しているときには、景気を刺激するための拡大財政策こそが必要であると経済の教科書には書かれています。それは経済学を学びはじめた学生であれば、誰でも知っている常識といってよいでしょう。政府に求められているのは、雇用を守るために動くことです。
出典 IMF専務理事の消費税増税発言にみんな激怒!!ひどすぎるIMFの実態とは – NAVER まとめ

ところが緊縮財政のもとでは、雇用を守るための政策が一切封じられます。経済は不況に向かい税収は減少する一方ですが、予算がとれないため、政府は手をこまねいているだけでなんの対策も打てません。

緊縮財政の目的は、経常収支の赤字を減らすことです。経済力が極端に弱まるなか、経常収支の赤字を減らすことをIMFに迫られたため、どの国もたったひとつの方法に頼るよりありませんでした。それは、輸入を減らすことで貿易収支を黒字に保つことです。
出典 アジア通貨危機(2/3) IMFはいかにアジア経済を崩壊に導いたのか | セブ島留学マナビジン

これにより貿易収支はたしかに黒字になり、外国の債権者に返済するための資金をつくれるようになりましたが、その国の経済はどん底へと落ち込むことになりました。

さらに最悪だったのは各国が一斉に輸入を減らしたために、どの国の輸出も大きく減ってしまったことです。輸入を減らすということは、貿易の相手国にとっては輸出を減らされることと同じだという単純な理屈を、IMFの官僚たちは見落としていたのでしょうか?

IMFは緊急融資の条件として金利の引き上げを求めました。その理由は驚くほど単純です。「金利を上げれば高い金利を目当てに、その国の通貨を買う動きが加速して通貨安が止まる。株にしても債券にしても金利が高ければ投資対象としての魅力が増すため、その国に資本が流れ込んでくる。資本が外国から入ってくれば為替相場が安定する」
出典 アジア通貨危機(2/3) IMFはいかにアジア経済を崩壊に導いたのか | セブ島留学マナビジン

金利を上げることで外国から投資目的の資金が活発に流れ込んでくることは、経済の常識です。そのため、IMFの掲げた理屈は一見すると正しいようにも思えますが、ちょっと考えてみれば大きな矛盾を抱えていることに気がつきます。

金利を上げれば、借金の返済額が上がるという当たり前の事実です。会社の債務が大きいときに高い金利を課されればどうなるのかは、容易に想像がつきます。それは多くの会社にとって、死を宣告されるも同然のことでした。
出典 アジア通貨危機(2/3) IMFはいかにアジア経済を崩壊に導いたのか | セブ島留学マナビジン

実際、高い金利の影響で経営難に陥る会社が続出しました。東アジアと東南アジアの企業の多くは借入金に頼りすぎる傾向をもっていたため、予期せぬ高い金利を課せられるとたちまち身動きできなくなったのです。そのことはIMFも十分にわかっていたはずです。

高い金利を課せられた国の企業の多くが、倒産へと追い込まれました。インドネシアはことに悲惨で、企業家の約75パーセントが経営難に陥りました。


出典 amanaimages.com

ギリシャ(ギリシャ危機)


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ギリシャ危機とは|金融経済用語集

ギリシャ危機は、ギリシャ共和国の2009年10月の政権交代を機に、財政赤字が公表数字よりも大幅に膨らむことを明かしたことに始まる一連の経済危機をいいます。従来、ギリシャの財政赤字はGDP比で5%程度とされていましたが、新政権(全ギリシャ社会主義運動)下で旧政権(新民主主義党)が行ってきた財政赤字の隠蔽が明らかになり、実際は12.7%に達していたことが分かりました(2010年4月に13.6%に修正)。
出典 ギリシャ危機とは|金融経済用語集

ギリシャ人たちが危機に陥っているのは、彼らが怠け者で借金を踏み倒す連中だからだ、というのは正しいか?
出典 【オピニオン】ギリシャ危機、金融メディアが語らない10のこと – WSJ

ドイツからの施しで生活し、税金をごまかす。欧州委員会、欧州中央銀行(ECB)、国際通貨基金(IMF)のトロイカが繰り返し支援しようとしたが、彼らは聞く耳をもたない。そして今や、極端なリベラルに走り、借り入れたカネをびた一文返そうとしない。

全く正しくない。

 ギリシャ危機について皆さんが教えられているほとんどあらゆるものは、完全なたわごとである。以下はその理由だ。
出典 【オピニオン】ギリシャ危機、金融メディアが語らない10のこと – WSJ

1.ギリシャ人は既に要請されている以上に緊縮している。5年前の救済取り決め以降、ギリシャ政府は支出を削減し、増税し、そして基礎的財政収支(プライマリーバランス)を240億ユーロの赤字から30億ユーロの黒字に転換した。同国は実際には救済側の要求以上に債務を削減した。IMF自体が緊縮対策は「どんな基準でみても異例だ」と述べ、改革面での彼らの「重要な進展」を称賛したのも無理はない。
出典 【オピニオン】ギリシャ危機、金融メディアが語らない10のこと – WSJ

2.本当の問題はトロイカの薬が効かなかったということだ。IMFは当初、緊縮政策を採用すれば、ギリシャは2011年から「V字型」の経済回復に入ると予測していた。「信頼感の効果と、市場アクセス再開」が期待されたのだ。だが、現実にはそうではなかった。これらは10年の救済文書から引用したものだ。IMFは、14年までに経済成長率が3%を超え、「失業率は12年までに15%近くでピークになるだろう」と予測した。何たることだろう。つまるところ、ギリシャ政府が債務を削減する間、経済は一段と縮小しただけだった。
出典 【オピニオン】ギリシャ危機、金融メディアが語らない10のこと – WSJ

3.引用される「専門家」の発言は、皆バイアスがかかっている。確かに、TVやインターネット上では大勢の賢人たちがあれこれ非難したり警告したりしている。問題はどこにあるか。彼らがおおむね金融部門で働いている点だ。したがってその関心事は株式、債券、その他の金融資産であって、アテネやテッサロニキのような諸都市の雇用や世帯収入など日常生活の実態ではない。金融は実際に大切かもしれないが、それがすべてではないことは確かだ。
出典 【オピニオン】ギリシャ危機、金融メディアが語らない10のこと – WSJ


出典 www.aflo.com

アルゼンチンの場合(アルゼンチン危機)

アルゼンチン危機は不可避 米大教授「すぐにデフォルトの公算大」 – SankeiBiz(サンケイビズ):自分を磨く経済情報サイト

アルゼンチン経済の歴史 – Wikipedia

タンゴの国として知られているアルゼンチンは、過去20世紀半ばまでは、世界で指折りの農業国として栄えてきた富裕国でした。平均6%もの経済成長率を30年連続記録したこともあり、国民一人あたりのGDPは世界第4位と南米でも屈指の経済大国だったのです。ラテンアメリカ諸国の中でもヨーロッパの要素を持ち合わせた、首都ブエノスアイレスは「南米のパリ」とも称されていましたが、20世紀を迎える頃から、少しずつ経済が崩壊し始めました。
出典 繰り返される「国家破綻」アルゼンチンの事例に学ぶこと

1946年、アルゼンチンではペロン政権が誕生し、保護政策と銘打って工業化編重政策を開始しました。しかし、試みた産業構造の改革は失敗に終わり、経済低迷の引き金となってしまいます。それに加え、二度に及ぶ第二次オイルショックによって、更にダメージは拡大していくことになります。インフレを解決しようと債務不履行を行うものの、国民の不満は大きくなり、その矛先を外に向けるかのように、英国とのフォークランド戦争が勃発します。この争いはアルゼンチン側の敗北となり、1988年ついに5000%のハイパーインフレと累積債務を生むことになってしまうのです。

ハイパーインフレに苦しんだアルゼンチン政府は、ドルペッグ制の導入を決断します。ドルペッグ制とは、自国の通貨をドルに連動させるために行われたもので、1ドル=1ペソとしたものです。結果、海外からの投資も上向きになりペソは上昇、ドル建ての債券を発行することで通貨の安定を図り、見事インフレを抑えることに成功します。1990年には失業率が9%に達成するほど、経済は右肩上がりを見せます。しかし、天然資源や公的企業などを外国投資家に売却してしまったことで、輸出が瞬く間に低下していきます。アルゼンチンの輸出は、その約30%がブラジルに頼るものでした。1999年にブラジルで起こった経済危機がブラジルの通貨引き下げを招き、レアル高となり、輸出はなおのこと低迷していきます。アルゼンチンの経済は急激に悪化を辿っていくのです。
出典 繰り返される「国家破綻」アルゼンチンの事例に学ぶこと

経済の悪化の原因はドルペッグ制度にありました。固定相場をやめて、変動相場に移行することで、輸出産業は再び伸びを示すことができます。ですが、国民の抱えている借金の大半がドル建てだったことや海外投資家の反対も大きく、政治的に強行することは不可能だったのです。アルゼンチンのドルペッグ制はIMFが融資する形で成り立っており、IMFは緊急政策の実行を融資の条件としました。しかし、これも労働団体のゼネラルストライキにより失敗となり、融資は断ち切られることになってしまったのです。これによって通貨ペソとアルゼンチン国債の暴落を招く結果となってしまいます。

もはや意図的にIMFが財政破綻の引き金をひいちゃってますね…

財政破綻した国に法外な金利で金貸すことで儲けをだすのが目的なんだろうな…闇金みたいですねw

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